NHK朝ドラ「まんぷく」安藤サクラの関西弁は上手い?下手?

NHK朝ドラ「まんぷく」

なぜ今ごろになって、そういう意見を言うのかな?

朝ドラの方言は、毎回意見が賛否両論ありますが、まんぷくの安藤サクラの関西弁にも賛否両論あるようですね。

僕は、関西人なんですけど、そんなに気にならないというのが僕の意見です。

確かに、おかしなところ、違和感のあるところはあるかもしれません。

でも、実際の関西人を見てもおかしな人たくさんいます。

どれが正しいのかなんて、よくわからんのです。

それに、年をとるに連れて、安藤サクラが、どんどん関西のおばちゃんになっていっているのはよくわかります。

そのあたりは、上手い演技してるんじゃないかな?と思います。

関西弁が上手い下手よりも内容がいいので、どうでもええやん!

さぁ、今週は、最終回に向けて、走り出しそうですね。

お見逃しないように!

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ネットの感想

明らかな誤りでなければ、言葉には寛容であるべきだと思う。

いまさら?この時期にくだらない記事。
これは他の方言でも言えるけど、ネイティブな
人じゃなければある程度目をつぶるべき。
ドラマが面白ければ全く気にならない。
私も関西人なので?と思うことはあるけど
東京出身の安藤さんが一生懸命努力して、
関西弁を喋ってらっしゃるのでそれをどうこう
言う気持ちがわからない。
まんぷくはドラマ自体が面白いから全く気にならよ。

それなりに上手く話せているから、逆に違和感が目立つというところだろうか。確かに、ネイティブな人よりも抑揚を明瞭に話している感じはあるが、よく話せていると思う。関西の人からしたら違うかもしれないが、ドラマの質がいいことは皆さん分かっていると思う。

ずっと朝ドラ見てきてるけど昔に比べて今の人は上手だと思います。
昔に比べて関西弁を耳にする機会が増えたからなのかな。

関西弁と言っても地域によって違います。
大阪出身の俳優さんでも方言指導受けたと言ってる人もいたので時代によっても違ってるのでしょう。
関西人でも標準語と混じった関西弁を話したりもしてるしいちいち気にすることないと思います。

木村佳乃さん高橋克典さんらが関西弁に挑戦してるドラマ「後妻業」も、東京の自分からしても違和感を感じますね。
よく一般人がエセ関西弁を使って全然ちゃうわ!と突っ込まれるように、関西弁を限りなく自然に話せるようマスターするってのは難しいのでしょう、さらに関西弁といっても地方地方で違うようですし。

大阪人だが自分らの話す言葉を関西弁という言い方は違和感がある。
関西弁というのは地方から見た言い方で好きではない。
側から聞いたら大阪弁も京都弁も神戸弁も一緒に聞こえるのかも知れないが厳密にいうと全て異なる。大阪だけでも普通の大阪弁、船場ことば、泉州弁、河内弁と異なる。ネイティヴの大阪人が聞いたら明らかに違いが分かる。奈良、和歌山も言い回しやイントネーションが違う。なので拘りだしたらキリがない。テレビドラマでよくこの問題が取り上げられるが、大阪以外の人が大阪弁を完璧に話す事は不可能だと思う。だからそこはある程度割り切って見てる。安藤サクラの大阪弁は不自然だが拒絶反応が出る程ではない。地方から大阪に来た嫁ならあんな感じの人はいる。あとこの話題が出た時にいつも思うのだが、そこまで大阪弁に拘るなら全て大阪出身の役者で揃えたら問題ない。つーか、この話題、何回言わすねん。

半年前に関東から関西に越してきて話す言葉違いに悩まされてます。正直ここまでとは思わなかった。ネイティブの関西弁で早口で喋られると、解らない。特に御老人の話なんかは。
家族は地域に溶け込もうと関西弁真似したりしてるけど自分から聞いていても気色悪い。関西人が聞くともっと気色悪く感じるんだろうな。
生まれが関西じゃない人は完璧な関西弁は正直無理な人が多いと思う。
少しぐらいおかしくても寛容に見守ってあげてほしいと思います・・

耳は、目よりも保守的だ、と聞いたことがあります。音楽でも、カバー曲が受け入れにくいのは、そのせいだそうです。でも、一方で評価が高いカバー曲もあります。その違いの一つとして、オリジナルに対する愛が感じられるかどうか、というのもあるでしょう。ネイティブが聞いて、どんな形であれ、愛を感じたら、それは受け入れられるでしょう。

ドラマの関西弁をどう思うかと言うことで好き勝手言ってワイワイ盛り上がること自体は楽しくてよいと思います。
そこから、関西弁はこうあるべきとかドラマなのでそこにこだわって見るべきでないとか、世間一般の結論を出そうとすると楽しくなくなる。

安藤サクラの関西弁は、私が知る限りではネイティブじゃない人の中では一番上手いと思う

それが、ハッキリわかったのは、インタビュー等で標準語を
話しているのを見た時、とても違和感を感じたからだ

まるで、関西人のくせに東京で売れたとたん、関西弁から東京の
話し方に変える芸人のように見えた

その時、安藤サクラのすごさを思い知った

この人、本当にすごい!!

いつも、方言のある作品にはなぜ現地出身の役者を使わない
のか、見ていてヤキモキするが、安藤サクラさんは
違和感なく見れた

上手く話そうとしてバレても別にいいと思うけどな。
よく方言指導の人から見ても、っていうけど、
逆にそこまでコテコテの大阪弁使う人の方が少ないと思うし。
正解ではあっても、そんなしゃべり方せえへんって思う方が多いかも。
もちろん時代背景や舞台設定があるから、多少の違いはあっても
脚本がしっかりしてて上手な役者さんが演じていれば
方言の指摘は野暮でしょ。
その意味で言えば、まんぷくは面白いし安藤サクラさんはすごく上手だと思って観ていられますよ。

私は関西人ではありませんが、俳優さんが一生懸命に自分の故郷の言葉を学んでくれること自体が嬉しいし、更にはその言葉を使って素晴らしいドラマを作り上げてくれるなんて感動すると思います。地元の方からすると違和感はあるのかもしれませんが、言葉を越えた表現力を持って演じている俳優さん達を、もう少し敬ってもいいのではと思いました。

今の日本では通じればよいのが基本、議論するほどのモノではない。
自分は大阪出身であるが、安藤さんの関西弁は上手い方で気にならない。もっともっと妙な関西弁の俳優さんが多いのでむしろ上手に聞こえる。万平さんはあきらめて標準語で喋っているのは正解だろう。安藤さんは耳が良く俳優の素質溢れた人である。

方言ってネイティブな人達にとってはどんなに上手に演じても総じて気持ち悪いモノ。
それは発音とかセンテンスとかの問題以前に演技として感情や声量が入ってくるからというのと、ガチの方言だと全国の人が見て理解できるかと言うと別問題。

私は博多っ子だが今は結婚して違う所に住んでいる。
同じ福岡県民ではあるが、久しぶりに博多の友人にあった時に「発音が違う」と言われてショックを受けた事がある。
自分では違和感なく博多弁を喋っているつもりだったので。
つまり同じ県内にいても住む地域によって変わっていくのは自然な事。
そんな自分でもドラマで博多弁を聞くととてもいたたまれない時がある。
「(音として)そんな所を強調しない」とか「そこでその語尾はない」とか思う時もあるが、決して批判的な意味ではなく演技である以上決して満足の行く発音になるはずがないのでそこは仕方ない。
まぁ関西の人はそれが強いだけだとは思う。

関西人ですが、聞いていて気持ち悪くはないですよ。時々寒気がするくらいひどい俳優さんもいらっしゃいますので。関西出身じゃない方が関西弁を話すのにはある程度限界があります。
安藤さんはとても頑張っておられます。

演技が素晴らしく、話し方がどうとか全く気になりません。話し方も含めて福子、と言いますでしょうか。
それを言うなら前のわろてんか。てんの関西弁の方がめちゃくちゃ違和感感じた。最後までキャラも薄かったし…

それは仕方がないと思います。
例えば北川景子さんや有村架純さんの話し方は正直なところは東京育ちの人の話し方とは違います。ふとしたところに違いを感じることがあります。
けれどもそれは良い意味でもあり、ふとしたところで魅力的に感じますし心を惹かれることがあります。東京育ちの人間観とは違った雰囲気が流れ込んできます。

なかなか細部まで方言を模倣することは難しいよ。
私は東京育ちだが、言語学者にかかると「関西弁」のイントネーションで話しているらしい。両親一族みな関西だからなのか。微かに違うと。自分も驚いたが、友人達も「関西弁の要素がどこに?」と驚いていた。細かく指摘されたら、たしかにそう発音しているな、と思った。
気がつかないぐらいのごくわずかな違いが違和感につながるんだろうけど、そのわずかな違いを指摘するのはどうかと思う。

あと『まんぷく』に限らず大阪放送局制作の朝ドラ観ててセリフの「ベタな関西弁的言い回し」は台本段階で意図的に避けてるな、とは思ってた。あんまりそこにこだわると他地域の人が聴いた時とっさに意味を理解出来ないしね。

俺は方言は基本的に直さなくてもいいという考えなのを前提で

俺は郷に入っては郷に従う方針だから移動した地域の言葉で話すようにすることが多い
周りを見てもそういう人も多い、というか自然にそうなる人も多く感じるし、その地域の人もそんなに問題視しない

でもなぜか関西地域の人は他地域の人に話されるのも嫌だし、他地域に行っても「直す気全くありません」とわけのわからない主張をする人が多いとは感じている

直接話された時に修正するならまだしも、演技でもその辺うるさいとか正直めんどくさいですよ

否定派の意見もわからないことはない。観劇してるときでも芝居に演技臭さとかあったら割と最後まで気になってしまうし、関西弁っていうものも表現方法の1つであり、このドラマにおいてはマストなものであるからこそ、そこで意見が別れてしまうのは至極当然なことだと思う。
だから誰を糾弾するとかではなくて、その個々人に委ねられるものだと思う。観劇、視聴したあとの論評っていうのは画一的なものにはならなくて、個人のアイデンティティの中で何を感じ取ったかってことに依存する主観であるから、こういう話題には演者に明らかな大根臭さがなければ別に一々外野が「それは違う」などと言うのは何も生産性が無いと感じる。

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